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大阪で水彩画一筋

大阪で水彩画一筋

A-Wyeth雑感10ベッツィー

Andrew-Wyeth雑感10

ベッツィーワイエス

  芸術家が一般の人が営む家庭生活と違い、時に破綻した家庭や
 最初から家庭を持たない場合が多い。これには理由がある。イメージを
 継続して保たないと制作することができない場合、特に新しい分野、 
 領域に踏み込んでいく画家の頭はまるで夢見ているような現実の認識
 がない場合がある。

  そんな時に米びつの残量や銀行預金の運用などとてもできない。
 変わった「飛んだ実生活」の上に芸術家の自由な活動がやむを得ず
 保障される、というのも一理あるがアンドリューワイエスの家庭は
 ベッツィーの賢明さゆえか、普通と変わらない。と一見見える。
  アンドリューワイエスは銀行にどのくらいの預金があるかは妻に
 任せていた。

  しかし1970年にモデルの老婆クリスチーヌが死んで新しく
 モデルとなった「ヘルガ」「シリ」については妻に知られないように
 秘密に描いていたと言われる。ヘルガのシリーズは長い期間続いて
 いるのでとても信じられないが、唯一考えられるのはベッツィーが
 秋と冬を過ごすペンシルバニアのほうに行かなかったということです。
  ベッツィーはアンドリューの父とはそりが合わなかったと仮定で
 きる。家庭の支配者であった義父への反発は義父の死後もペンシルバ
 ニアの家には行かなかったと考えても不自然ではない。

  いくら大きな家に住んでいたといえ妻に内緒で数人の女性を毎日
 描いていたらばれるはずだ。特にシリは当時未成年でヌードの
 描写作品は世間に対しても公表すらできなかった。アンドリューが
 53歳の時だからベッツィーとは秋冬は別居としか考えられないが?

  シリをモデルにしたテンペラ画で不自然に思える作品があった。
 冬のこげ茶色の背景に裸で後姿を描いた作品だ。最初見たときに巧みな
 人物描写に驚いたがこの寒空にヌードは合わないような気がした。
  実際にこのような光景を描くことが可能であろうか?いくら片田舎
 といえどシリは未成年だし、ありえないように思えた。しかし後日
 トーマスエーキンズの若い男性モデルが全裸で水浴している図を見て、
 そのポーズがそっくりなのに気づいた。多分アンドリューは西洋古典
 絵画のビーナスを真似たのではなくエーキンズの作品に刺激されて
 描いたのだと思われる。この人物と風景を別々に取材し組み合わせる
 手法は父の制作技法に学んだものと思われる。

 アンドリューの最も有名な「クリスチーヌの世界」は身体障害者の
 老婆クリスチーヌが遠くの我が家の方に向かって佇んでいる風景で
 あるが、よく考えれば不自然な構成ではある。周囲の余分なものは
 省略され野原が広がっている。モデルには時々妻のベッツィーがピンク
 の服を着てスタジオでモデルになったそうである。足が不自由な
 クリスチーヌが住居から遠く離れているのではなく住まいが遠くに
 描かれたのである。

  つまり実際の風景を写すのではなくかなり挿絵風の画面構成がなされて
 いるため、「絵画ファンがアンドリューが描いた場所を探しても見つから
 ない。」と言われている。なおモデルについては後年は手当たり次第と
 言ってもいいほど近くにいる人を描くようになる。「放浪者」と思われる
 男性も描かれている。

  アンドリューワイエスの製作途中を他人に絶対見せない、という徹底
 した態度はもちろん結婚当初から妻もわかっていたので、年中一緒に
 いる関係ではなかったと思われる。ベッツィーは結婚当初はアンド
 リューの作品のマネージメントを行っていたようであるが決して
 アンドリューの絵画制作の重要なイメージの継続に邪魔にならなか
 ったようで賢明な芸術家の妻といえる。

  あるいはアンドリューは「自分は人生の大半を孤独に暮らしてきた。」
 と回想している。そして「それが好きだ」、とも。アンドリューワイエスは
 ペンシルバニアでの生活は幼いときから変わらず一人丘を歩いて風景を
 見て歩き描いたと思われる。「孤独」は彼にとっては制作のエネルギー
 であり又幸福を感じる瞬間でもあった。

   I can think of nothing more exciting than just sitting
  in a cornfield on a windy fall day .

 (風の吹く秋の日にコーン畑に座っていることほど私を興奮させることを
  考えられない。アンドリューワイエス)


  アンドリューワイエスは自分が成功者、億万長者と呼ばれることを
 嫌っている。画家として人より多く試行錯誤し、決して自分の作品に
 満足せず、そして I was alone という言葉が何度も使われる。自分は
 「抽象画家」である、という言葉は孤独をつらぬき、誰より新しい
 イメージを構築し実践してきたことの自負だと思う。

  アンドリューワイエスの絵画については現代でもその大衆性ゆえか
 あまり評価しない人もあるであろう。私が最も感銘したのは後年の
 水彩画である。特に「ビッグルーム」という室内を描いた水彩画は
 それを模写していつも眺める部屋の位置にかけている。

  アンドリューワイエスの初期のテンペラ画が世界で有名になった
 作品ではあるが彼の室内画には比類のない技量を感じる。多分少年期の
 引きこもり傾向の独特の経験から体得した感覚で誰も真似できないものと
 思う。後年の水彩画には大げさな構成がなく力みもなく、純粋に自然から
 うけた色と形を卓越した技量で彼独自の絵画世界に連れて行ってくれる。
  

続く


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